比良へのいざない
歴史と文化
古代の渡来文化
5世紀頃の近江は、大和朝廷が大陸や朝鮮半島からの渡来系氏族を多く配置した所だといいます。
そのなかでも特に神崎・蒲生郡あたりと滋賀郡に多いそうです。そのため、比良山系の周辺や山麓には、渡来人による文化的遺産やその痕跡が多く見られます。
現在使われている地名にもよくそれが表れています。
和邇(志賀町)は、和邇(わに)氏の拠点だったところです。和邇氏は製鉄に関係していたといいます。
比良山系には金糞(かなくそ)峠という変わった名前の峠があります。峠の名前はその麓の地名からつけられることが多く、金糞とは「鉱石を溶錬する際に生ずるかす」(広辞苑)という意味です。実際に比良山麓には製鉄遺跡がのこされています。
また、小野(志賀町)は、小野氏の拠点であり、小野氏は和邇氏の一族だといいます。また、白髭神社(高島町)の白髭(しらひげ)は、新羅(しらぎ)からきているという説もあります。
小野神社
志賀町小野にあり、古代豪族小野氏の祖神をまつっています。境内に小野篁神社があり、やや離れて小野道風神社があります。
小野篁(たかむら)と小野道風(とうふう)は平安時代の有名な歌人と書家で、ともに祖神としてまつられています。また近くに小野妹子(いもこ)の墓と伝えられる唐臼山(からうすやま)古墳があります。
最初の遣隋使であった小野妹子は、小野の出身であるといわれています。
なお、小野氏は古代豪族和邇(わに)氏の一族で、志賀町小野を本拠にしていました。
朽木渓谷(くつきけいこく)
高島郡朽木村を北流する安曇川の上流域で、比良山系のちょうど西側に位置しています。
花折断層による急峻な断層谷で、本流や支流に集落が点在しています。村の中心部である市場(いちば)周辺には近年アウトドアを中心としたレジャー施設などが作られてきたものの、まだまだ豊かな自然が残されています。
また、現在は谷沿いを走る国道367号線が整備拡張され交通量が急増しましたが、本来は間道で若狭街道(朽木街道)と呼ばれました。古くは日本海側から京都や奈良への渡来人や渡来文化の流入ルートの一つであり、また多くの海産物がここを通って京都に運ばれました。
「鯖街道」などという呼称も、そのような文化歴史が背景にあっての呼び名です。
戦国時代には、12代将軍足利義晴が内乱を逃れ地元の豪族朽木氏に身を寄せました。そのとき将軍をなぐさめるために作った庭園が、旧秀隣寺庭園として興聖寺に残されています。


